きっついなーと思ってる人に見て欲しいんだけど、この記事はほぼ日記のような物でブログで得た喜びと苦しみを綴っている。
まあブログ更新するのキツいなら、それをネタにすることもあっていいと思ってる。
このブログは2月から初めてもうすぐ半年。今のところ3ヶ月間月15記事を描き続けるというノルマを自分に課している。
このノルマはは今月末までなのでなんとしてもクリアしたいのでこんな記事を書く。
Contents
更新目標クリアで得たいもの
更新目標クリアで得たいものはなんだ。
PV、収益、もっとざっくり言えばブログの成長か。
僕の場合は上にあげたものも当然あるけど、ある意味一つの修行でもある。
俺の屍を超えていきたい
僕は仕事に対しては結構前のめりに挑むタイプで、楽しみながら向上心を持ってやってきた。
だけどそれとは逆に、夏休みの宿題は一切やらない、部屋は片付けられない、あり金は使い切るといった具合に、必要性を感じないものにはとことん無関心で無気力だった。
これが何かというと、僕は目の前に出された問題を解くのは大好きなんだけど、それがなければ自分から動くことが一つもなく、目の前にある分かりやすい欲求をただ満たしていくだけの日々を送っており、屍となんら変わりないということだ。
今の今まで生ける屍であってもなんら問題がなかったが故に特に問題は感じていなかったが、コロナに大量の時間をプレゼントされてから屍であることにいい加減飽きてきた。

ドMからの脱却
今までも己の意思で生きてきたと思っていたが、よく考えてみればいつだって目の前に用意された課題に取り組んできただけだ。
僕の仕事は受注して初めて発生するものであるが故に、基本的に受け身であることが多い。要するにドM。
自分の欲しいものだけを能動的に獲りにいくにはSっ気を出していくしかない。
やりたいことロードマップを策定していくうちに、しないといけない事がだんだんと定まってきた。ブログやYouTubeもその一つ。
あろうことか、どれもこれもがまるで夏休みの宿題のように、毎日積み上げていくべき継続目標だった。
成功体験が欲しい
仕事がうまくいけば成功体験が積み上がり、自信が積み上がり、態度がでかくなり、仕事もでかくなる。
成功体験とは人間の成長に必須のものだと、愚か者なりに経験から学んできたつもりだ。
しかしなんだ、僕にはやると決めたことを毎日毎日積み上げることに成功した経験が一度もない。
ゆえに、なにか継続目標を立てた時に、予想される問題、解決策、モチベーションコントロール、そんなものがひとつも思い浮かばんやんけ。
この辺りの人間としての形成は小学校あたりで止まっていると言える。
なのでブログ更新目標を達成し続けているこの瞬間は、まさに思春期ばりに初体験真っ最中だ。
3ヶ月目標を達成したならば大いなる自己満足を得るとともに、それは一つの成功体験となり、次に始める何かに対してさまざまな予測を張り巡らせることができるはずだ。
ブログで満たす欲望
僕はブログ記事はフリースタイルに書くと決めている。
書いてる時のひらめきやノリをそのまま表現できるし、そういう文体の方がエンターテイメント性があって内容問わず読んでて好きだからだ。
おそらく当ブログの1記事の平均文字数は3,000文字以上といったところ。
月に50,000字程度の文章を書く生活をしたことが今まであっただろうか、いや無い。
文章を書く喜びを知る
もともと文章を書くのは好きというか、ネットや小説問わず面白い言い回しや言葉遊びが好きで、真面目な企画書に笑いをぶっ込んだりするのも大好きだった。
でも必要に迫られなければ一切書くことがなく、その辺で腐臭をふりまくウォーキングデッドであるのが自分。
というわけで書くと決めて書き続けてる現在は、当社比で文章は進化していってるし、自分で読み返して楽しめる記事が増えていってる。
ノルマを課したことで苦しみも生まれたが、苦しみは喜び増幅装置であることは古来から人間族のアンリミテッドな性(サガ)。
自己顕示欲求の権化
iモードだの携帯情報端末の黎明期に生まれた「魔法のiらんど」とかいうサービス誕生から20年、自分の書いた文章が不特定多数の人々に見てもらえ、評価してもらえる。
いわばブログビジネスは、検索エンジンというマーケットに上市することで間接的にものを販売して広告収入を得る、Googleの下請け制作会社だ。
そんなことは置いといて、書いたものが読まれて感想がもらえるのは単純に嬉しい。人間の半分は自己顕示欲でできている。
なんであれ、一切の発信、表現を行わない人間はこの世に存在してないも同然、座してなろう小説家をバカにして悦ってるほどバカなことはない。
誰かが何かを作れば、それが良くも悪くも別の誰かに影響を与え、世界ににほんの数ナノミリ変化が起きる。
各々がその動きを繰り返すことで社会の形をなしていく。
これが社会的動物である人間の本質でありロマンシングなサガだと思う。
超速で蓄積する知識
このブログではDIYをネタにしている。
建築設計を生業している人間からすると多少なりとも優位性があるジャンルである事は確か。
黄金の学びの連鎖は控えめにいってG・E
もし本職の職人が一つの工具について語るとして、メーカーごとのパワー、速度、サイズ、金額の違いについて詳細に把握しているだろうか?
いかに道具を使いこなし精通していようが、細かい情報は調べなければ知りえる事はない。
物を買うときにいろんな情報を比較すると、一時的であってもその領域に非常に詳しくなるだろう、ときにあなたはプロより詳しくなってるはずだよ?
(もちろん知識だけなら調べれば手に入るので、少なくとも実践経験をもとにした、ユーザーとしての体感を文章化することも情報の厚みとなるのは当然だけど。)
ブロガーやってればその知識をインプットした直後に人に伝えるための精細なアウトプットまで行うんだから、これ以上の学びはない。
脳に問い合わせる限り、学びにはこの2つが重要であるという。
つまり図らずして黄金の学びの連鎖を実施していることになる。
ブログを書くという体験そのものが黄金のようだ、まさにゴールドエクスペリエンス。
ふざけ通してはいるが、本当に自分が学びたいことをブログ的にまとめていく事は学びとしてすげえ役に立つ。
楽しもうぜ
副業として金が欲しくてブログをやってる人が多いと思う。
そもそもなんで金が欲しいのかというと退屈な人生を少しでも楽しむための道具が欲しいからだよな。
地獄を楽しむ方法
すごく嫌なことでもいざ始めてみたら集中して取り組んでたなんて事はないだろうか。
クソ暇なシフト労働でぼさっと立ってるのは苦痛だけど、暇すぎるから陳列棚の並べ替えを始めたらもう上がりの時間だったみたいな。
面倒くさい見積書を作ってるとき、カットされそうな項目を少し安めにつけといて、こっちをちょっと高めにーとかしてたら楽しくなったりとか。
残業で終電なくなったから社中泊だよってなったら、あえて仕事を終わらせる前に一杯飲みにいくとか。
辛いことを楽しくするのはいつだって「ひと工夫」や「遊び心」とか変化を加える精神だと思う。
辛いことから全力で逃げる
辛いことを乗り越えれば強くなる、は一理あるのかもしれないけど、乗り越えられなければ意味がないのでさっさとUターンして逃げ出すべきだと思う。
会社はまず3年勤めてとか全然わかんない。嫌な客とも我慢して付き合うとか意味わかんない。人生の貴重な時間を辛いことに割く意味とか全然わかんない。
先の見えない山を愚直に登る行為はビジョンがないだけじゃない?なんでそんなところ登ろうと思ったの?
乗り越えるべき試練とは、その先に素晴らしい報酬が用意されていて、かつ乗り越える算段が立つ試練だけだと思う。
そんな試練はあまりない。なので大体の試練からは逃げ出しながら、美味しい試練と出会えるまでエンカウント繰り返すのが得策。
嫌な客も仕事も決別しなければ次の機会はやってこない。勝てる勝負しかしてはいけない。
ルールが少なく ほどよい試練の設定
僕が設定した月15記事は極めてちょうどいい試練だと思っている。
毎日更新とかヤバすぎて仕事してたら絶対無理だし、それしか考えられなくなりそう。
DIY系のHow to記事は机上で完結できないものが多くて、実践や撮影が多く付きまとうので、1記事10時間くらいかかったりする。
だけど2日に1回のペースなら実践時間も確保できるし、ちまちま撮影しながら記事構成を考えたりできる。
それでも弾が足りなくなる時はこんな日記記事を書くことも許している。あんま読み返さずにアップして後でいじったりもする。
そんなこんなでこの試練はまもなく乗り越えられるはずなので、報酬にちょっとした成功体験と、自信とPVとアナリティクスのデータを手に入れる予定だ。
終わりに
ブログで収益を上げるってのはやっぱり簡単じゃない、アフィ記事も投げ込んでいかないとダメだし、戦略的な更新が必要になるだろう。
正直、DIY系ブログを月に15記事ってなると、出勤に拘束されてしまう環境だときついかもしれない。
僕は会社に属してるけどほぼフリーなのでめっちゃ恵まれてる。なのでその辺の優位性はゴリゴリに生かしていきたい。
とりあえず来月には時間をゆっくり確保して、この3ヶ月のデータを見ながら今後の方針について色々考えるつもりだ。