製薬会社のMRは給料が良くて激務。
そんなことはない、ジャパンの平均的な営業マンから見れば、MRは給料が良い上に楽な職種だと思う。
特に外資。
この記事では、僕が異業種から外資製薬に転職した時の、なまめかしい体験談をつづる。
ちなみに時期はリーマンショックから数年後、歳は20代半ば。
Contents
年収は倍どころではない
年収が倍?
前の業界次第でザラにある。
基本的な計算は下記の通り。数字は多少変えてある。
書面による年収
基本給:27万円
- 月給:270,000x12=324万円
- ボーナス:270,000x7=189万円
合計513万円
今まで勤めた会社の現実は、書面とは違う、違法なものだったりしたけど、
今回の現実は書面を軽く超えてきた。
上乗せされるなにか
- ある手当が月7〜8万円程度発生
- ある手当が月4万円程度発生
- 借り上げ社宅制度で間接的に5万程度の手当が発生(赴任地による)
合計700万円以上
当時の僕の年収はボーナスがフルカットされて、312万ぴったりだった。
なので、転職による年収の変化は下記の通りとなる。
312万円 → 700万(概算)
年度の途中の転職だったので、残念ながら源泉徴収票にはイマイチインパクトがないので載せない。
内定、そしてオファーレターとかいう夢
25才が驚いたこと
- 役員室、眺め良すぎ
- オファーレターに驚愕&すげえちゃんとしてる
- 白すぎる労働条件と極厚の手当
お金の偏りを感じた。
役員室、眺め良すぎ
世界有数の大都市東京が一望できる役員室で、圧迫面接が終わった。
僕はというと窓の景色にに圧倒されてまともに喋れなかった。
「プレゼンが得意って書いてるクセにまともにに喋れてないね」
マジで言われた。
でも僕は最終面接=勝利と信じて疑わなかった。
というわけで、渋谷を観光したら、帰ってオファーレターを待つだけだった。
オファーレターに驚愕&すげえちゃんとしてる
オファーレターのインパクトが強すぎて、うる覚えだけど、事前に電話で合格を告げられたはず。
面接の評点から始まり、なぜ採用に至ったか、あなたに何を期待するか、事細かに告げられた。
なんていうか、信じられないくらい「ちゃんとしていた」。
噂に聞くオファーレターとかいうやつ。それは突然来た。
ボクシングジムの上に住む僕は、日曜日にゴングの音で目を覚ます。(家賃3万)
スウェーを入れながらポストをチェックに走る。
幅の広い封筒がはみ出しているじゃないか。
ヤバい
近寄る、
社名が確認できる。
手に取る、
分厚くていろいろ入ってる。
やばすぎる、やばい。
内容もヤバい
セット内容は下記の通り。
- 同期入社(中途採用)のみんなの名簿
- 研修のための住まいの施設概要
- 入社の手引き(手続き内容やスケジュールなど)
- 採用通知書
- あなたのキャリアプラン(みたいなことが書いてあった、労働条件通知書)
このキャリアプランというやつに、いろんな条件が事細かに書いてあったんだけど、
本当に夢見たいな内容だった。
白すぎる労働条件と極厚の手当
これにつきる
特有の手当
これについてはあまり語らないが、資格をとってからは7万以上あった。
車が実質タダ
MRの営業活動は全て車だ、資材を積み込んで走り回る。
一般的には社用車があてがわれるものだが、外資製薬の大半は、固定の資産を嫌ってか、社員の自家用車を営業車として使わせる場合がほとんどだった。
一見すると滅茶苦茶なやり方に思えるが、知っての通り、これには分厚い手当が出る。
当時で月4万近い手当だった。
税制上の耐用年数6年で考えても、タダで300万近い車が買えることになる。
というわけで、
外資の連中、ドイツ車で営業まわりすぎ。
僕は国産車に乗ったけど、調子に乗って新車で買ったことを今でも後悔している。
借り上げ社宅
これがある会社は結構あると思うし、社員の節税の助けとして実施しているケースも多い。
僕の場合、家賃の80%以上を会社がサポートしてくれていた。
あと、当たり前だけど、上限はある。
しかし、ど田舎に赴任した人間には、この上限が高すぎる場合が多いのだ。
僕の場合、補助額を使い切るまでもなく、ファミリー向けの新築アパートに住んでいた。
研修期間、ぬるま湯の中でも気合は十分
薬のことなど全く無関係の世界で生きてきた、異業界転生者たちは、まずは東京のギルドに集められ、数ヶ月の研修を受ける。
僕らの同期は年齢こそバラバラだったが、非常に仲がよく、本当に楽しい日々だった。
2食付きの寮みたいなマンション
東京のど真ん中に、プライバシーの確保された快適な部屋が用意され、朝と夜の食事まで完備。
昼は、MRの資格を習得するために、充実した講師陣による、充実した授業を受けることができる。
日が傾き始めた頃には、皆んなで談笑しながら同じ家路に着く。これが家族か。
これで給料がたっぷり貰えるんだから信じられない。
上京前の住居の家賃があればそれも払ってくれる神っぷり。
毎晩夕食の時間には、同期一同が集い、輝かしい未来を信じて缶ビール片手に語り合う。
一体この先に何をやらされるのか、不安になるほど充実していた。
ピンキリすぎる学歴
まじで東大生がいた。
正直、MRという仕事は東大を出てまで就く仕事ではない(失礼)。
だが実際、かなりレアだと思う。
反対に聞いたことない大学の子も居た。
かくいう僕も、芸術学とかいうお笑い枠だったしね。(笑え)
飲めど遊べど、学びにはストイック
もしかしたら、この待遇がそうさせていたのかもしれない。
今の夢のような待遇が、輝かしい未来が、もしかしたら、はかない夢として、醒めてしまうのではないか。
社会人の学びはひたすらに前のめりで、危機迫るものがあった。
毎日10問程度の小テストがあったが、皆、一問でも間違えようものなら己で己をを締め殺してくれよう、といった面持ちだった。
確認の50問テストでは、バカも秀才も全員が満点近かった。
本番は配属されてから
このあと、一大イベントとして赴任先が発表され。
喜び勇むもの、意気消沈するもので悲喜こもごもとなる。
赴任後が本番なのだが、今日はこの辺にしておく。
転職考えてるんだったらとりあえずリクナビネクスト登録しとけ。
以下続き↓
<中編>未経験から外資製薬MRに転職成功するまでの一部始終
前回、外資系MRの待遇が素晴らしすぎたという話を書いたが、そこに至る、転職活動まで振り返って話したい。異業種未経験の転職は、外資を狙っていく ...
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